宮間あや


http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110801/scr11080107420000-n1.htm08/01

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いつも一人、周囲と違う行動をとる選手がいた。黄金の紙吹雪が舞う中、W杯を手にする沢穂希ら選手、スタッフ、協会幹部たちが記念写真に納まろうとしたとき、カメラの前をVサインをしたまま笑顔で横切る選手がいた。宮間あやだった。

 延長戦を含めた120分を自らの1ゴール1アシストで引き分け、PK戦に向けて控え選手も含めた大きな円陣が組まれたとき、宮間はベンチで監督、コーチとともに、PKを蹴る順番を最終確認するホワイトボードを見つめていた。

 PK戦では1番手でGKの逆をつく緩いシュートを決め、「女ヤット」の愛称もなるほどと思わせた。「ヤット」こと男子代表、遠藤保仁の「コロコロ」と呼ばれる人を食ったようなPKを、W杯決勝の舞台で決める度胸のよさ。

 それだけではない。勝敗が決した瞬間、4人目のキッカー、熊谷紗希に向けて駆け出すチームメートに、背番号8は、くるりと背を向けた。宮間は歓喜の輪に加わらず、敗れた米国選手一人一人を抱擁していた。

宮間さんかっこいいよ



http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110801/scr11080107420000-n2.htm08/01

左足のアウトサイドでGKの逆をついてゴールを決めた宮間は駆け寄るレギュラー組を振り切り、控え選手の待つベンチへ駆けた。敗者を、控え選手を思いやる気持ちは、ピッチを広い視野で冷静に俯瞰(ふかん)する見事な司令塔ぶりにも通じた。試合後のインタビューでは、辛(つら)い時代を支えた代表OGの名を次々あげて感謝の言葉を継いだ。

 帰国後、テレビ各局をハシゴするイレブンの中に、彼女の姿はなかった。出演要請をすべて断り、「早く温泉に入りたいから」と所属クラブのある岡山に帰ってしまったのだという。岡山では「ただのフィーバーに終わらせないように地道な努力を続けたい」と語った。

 有名になった沢の、「苦しくなったら私の背中を見て」という言葉は、最初は宮間に向けて発せられたのだという。次代のリーダーを託す思いが込められた言葉でもあったのだろう。(論説委員

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